風が冷たい

 

冬の匂いがする

 

 

 

雪が…降りそうだな

 

 

 

 

 

太陽の物語

 

 

 

 

 「…気分でも悪いのか?」

 

 

 麗のその一言にハッと現実に引き戻された。

 どうしてもこの時季になると色々と考えてしまう…。

 

 

 「いや…大丈夫だ…」

 

 「最近何か調子が悪そうだが…」

 

 「……少し、考え事をしていただけだ」

 

 

 稽古が終わった後、冷たい風の吹く夜に空を見上げるのが怖い。

 明日には雪が降りそうな空をしていて…まだ心の準備も出来ていないのに…

 

 

 「…明日、雪が降ると思うか?」

 

 「雪か…そうだな、確かに降りそうな空をしているが…

  もしかしたら今日の真夜中辺りには降りだすのではないだろうか」

 

 

 それを聞くと益々憂鬱になる。

 克服しろといくら自分に言い聞かせても、嫌なものは嫌だと全力で本能が叫んでいる。

 頭では分かっているのだが、分かっているだけでは駄目なのだ。

 

 

 

 「ルナ殿は雪が嫌いなのか?」

 

 「…何故、そう思った」

 

 「空を見上げた時の瞳が、そんな感じだったからだ」

 

 

 

 ただ目を見ただけでこんなことまで分かってしまうなんて…

 李苡が言っていた“目は口ほどに物を言う”とはまさにこのことか。

 

 

 

 「嫌い…とはまた別だと思うが、色々あって…少し苦手なんだ。

  雪を見ると思い出したくない嫌な過去が浮かんでしまって……」

 

 

 

 この言葉だけで、あの日のことを思い出してしまいそうで怖かった。

 気を抜けば体が震えてしまいそうな恐怖が襲い来る…

 

 必死で恐怖を抑えようとしていたら、麗が優しい声で言ってくれた。

 

 

 

 「恐ろしい過去は、確かに恐ろしいままだ。それは当たり前のことで、いけないことではない。

  無理に忘れようとしたり、押し潰そうとしたりしてはならぬのだ。

  それではいつまで経っても何も変わらぬ。もし恐怖を克服したいのなら、前へ進むことだ」

 

 

 

 そして優しく微笑んで、少し震えていた俺の右手を温かい手で抑えてくれた。

 

 

 

 「振り返るから怖いのだ、ならば前を見て進めば良い」

 

 

 「振り返るから…怖い……」

 

 「かと言って前ばかりを見ても駄目だ。

たまに振り返り、自分の足跡を見つめ直すことも時には大切だ」

 

 

 

 麗の手…すごく温かくて優しくて……

 どうしてこんなに安心できるのだろうか…

 

 なんか…懐かしいような……不思議な気持ちだ

 

 

 

 「過去は時に刃となって己を傷つける。しかしそんなものばかりではない。

  傷を癒す優しい過去も存在することを忘れてはならぬ」

 

 

 

 優しい…過去……

 

 そういえば俺はいつも過去を思い出すときは暗い記憶のものばかりだった。

 しかし…そんな過去ばかりではないはずだ。

 

 

 “あの日”が来る前の、幸せだった記憶もあったはずなのに…

 いつの間にか、そんな過去でさえも全て捨ててしまった。

 

 

 幸せだった過去なんて、思い出すだけで胸が苦しくなったから、

 もう二度と、戻ってこないものだということばかりを自分に言い聞かせてきた。

 

 だったら、もう捨てた方がいいと諦めた。

 

 

 

 

 

 残ったのは、ただ苦しい記憶だけ

 

 

 

 

 

 

 「…優しい過去なんて、もう思い出せないよ……っ」

 

 

 

 

 

 自分で出した悲痛な声が、酷く冷たく心に堕ちた

 

 諦めて全てを捨てた 自分の弱さに泣きたくなった

 

 

 

 

 「過去は良くも悪くもなくなることはない。

  思い出せなくても、その記憶がなくても、過去はきちんと存在していた。

  その事実だけは確かなものだ。だから、絶対に全てを失うことはない。

  ルナ殿が思い出せずとも、優しい過去は存在したという事実があるではないか」

 

 

 

 麗は微笑んで、温かい声で言ってくれた。

 

 

 

 

 

 「もし苦しすぎる過去に潰されそうになった時は、必ず拙者が助けに行く。

  どこにいても、絶対に捜しだして守るから。約束しよう」

 

 

 

 

 

 右手はもう震えていなかった。

 

 麗は俺の手の震えが止まると、抑えていてくれた手を離した。

 俺は何故か、麗の手が離れていくのを引き止めたいと思ったが、

そのまま引き止めることはせず、離れていく麗の手が名残惜しかった。

 

 

 

 「…色々と申したが、拙者も未だに過去に囚われている部分はある。

  そう簡単に全ての過去をどうにかするなどできないのだな…」

 

 「麗も…何かあるのか……?」

 

 「そうだな…償わねばならぬ過去の罪が拙者には残っている」

 

 「過去の罪……」

 

 「この右目の傷に誓ったものだ。拙者は未だその罪を償えていない…」

 

 

 麗はいつもより寂しそうな落ち着いた顔で微笑んだ。

 その顔を見て、俺は麗の過去に深く触れることはしなかった。

 

 

 「さて、稽古も終わったしもう夜も晩い…こんな外にいては凍えてしまうな。

  ルナ殿もそろそろ部屋に戻った方が良いぞ」

 

 

 

 そうだ、そういえば俺は一人部屋になったんだ。

 鍵…自分の部屋の鍵どこに入れておいたんだっけ……お、ここか…二つある…合鍵も持ってきたのか。

 

 合鍵…合鍵といえば……

 

 

 『バカねー、女が合鍵を渡すってことは自分の全てを許すってことなのよ!

  だから使わなくても渡すってことに意義があるの、わかった?』

 

 

 こんなことを李苡が言っていたな…

 自分の全てを許す…とは、心から信頼できる奴ってことだよな…それなら……

 

 

 

 「麗、受け取ってほしいものがある…」

 

 「なんだ?」

 

 「手出して」

 

 「?」

 

 

 

 俺は麗のこと、すごく信用して尊敬して頼りにしてるから渡した方が良いだろう。

 きっと李苡はこういう男に渡せと言いたかったに違いない…!

 

 

 「こ…これは…?」

 

 「俺の部屋の合鍵だ」

 

 「なっ!?あ…合鍵っっ!!?」

 

 

 麗は何故か顔を真っ赤にして慌てふためいた。

 なんかこいつ、変なとこで変な反応するから面白いな。

 

 

 「な…何故…拙者に合鍵などっ!!?」

 

 「合鍵とは、自分の全てを許せる男に渡すものだと李苡から聞いた。

  俺は麗のことすごく信頼している。だからその証に合鍵を渡した」

 

 「そ…それは…何か李苡殿が言いたいことと違うような気もするのだが…

  とにかく拙者はこんな大切なものは受け取れんっ!!」

 

 「俺が辛い過去に潰されそうになったら、麗は必ず助けに来るって言ったよな?」

 

 「うむ…しかしそれと合鍵とは何の関係が…」

 

 「だったら、すぐ助けに来れるように持っていた方が良いだろう?」

 

 「し…しかし…っ!!」

 

 

 「それは、約束の印だと思って持っていてくれ」

 

 

 自然と顔が笑顔になってしまう。

 麗との約束が嬉しいからだろうか…助けに行くと言ってくれた麗の言葉が胸に優しく響いている。

 

 初めてだった。

 いつでも守る側でいた俺が、初めて守られる側になってもいいかなと思ったのは…。

 

 

 「………」

 

 

 麗は俺の笑顔に驚いたのか、しばらく俺の顔を見つめていた。

 

 

 

 

 

 「……もしかして、君は…」

 

 

 

 

 

 驚いているような、それとはまた少し違うような、そんな複雑な表情で麗が言葉を発した。

 しかしすぐに何かを思い直したかのように麗は言葉を途中で止めた。

 

 

 

 「何だ?」

 

 

 「…すまん、何でもない」

 

 

 

 麗は手に乗せられた俺の部屋の合鍵を見つめ、それを握り締めた。

 

 

 「この鍵は一応預かっておく。約束の印という意味なら、特に問題もないだろう…。

  もし返してほしい時はいつでも申されよ、それまでは拙者が責任を持って管理致す」

 

 「ずっと返さなくていい、それはお前にやる」

 

 

 「………」

 

 

 何故か、麗は少し寂しそうな顔で笑った。

 しかしその寂しそうというのが、いつもの感じと少し違っているのは気のせいだろうか…?

 何を考えて、そんな笑い方をするのか…俺には分からなかった。

 

 

 

 

 

 

 「必ず助けに行くから…約束だ」

 

 

 

 

 

 

 優しい声でそう言って、麗は寮に戻っていった。

 

 

 帰っていく麗を見て、なんだか俺は寂しくなった。

 もっと色々話したい。もっと麗の笑顔が見たい、優しい声が聞きたい、手の温かさを感じたい。

 

 

 

 

 

 ずっと、麗の傍に居られたらいいのに…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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